所在地
福岡県那珂川市山田
最寄りの交通機関
バス「安徳」750m
周辺スポット
高津神社、はつみよざくら
歴史
- 長保元年(999年)、大蔵種光が南蛮海賊を討伐した功績に築城開始。
- 延久5年(1073年)、曾孫の種資の時に完成。
- 後裔の種直は太宰小弐に任じられ、本拠地を原田から岩門に移した。
- 寿永2年(1183年)8月、都落ちした安徳天皇を安徳台に迎え仮の御所を築いた。この時警固の兵は岩門城に入ったと伝えられる。
- 鎌倉時代には武藤資頼が入り、元寇の役で活躍した九州武士団の総大将であり孫の景資(豊前盛氏)が城主となった。
- 孔安8年(1285年)に起こった霜月の騒動の波及を恐れた鎌倉幕府により、景資は粛清された。(岩門合戦)
- 戦国時代には大友、大内、毛利の対立により城主がたびたび変わった。
- 天正4年(1579年)、大友方の志賀道輝(岡城主)が入り、同胞の高橋紹運や戸次道雪と提携し、秋月種実と対抗した。後に筑紫氏の持城となったが秀吉の九州平定の後廃城となる。
メモ
- 高津神社裏手側に広がる山にある城跡。登山道は結構道が分かりにくかったり、狭かったり、足元が悪かったりするため注意。
- 登山道入口は高津神社入口脇にある。道中所々には大きな岩や堀切、曲輪といった自然や史跡的な見所がある。
- 山頂奥が展望エリアになっており、ちょっとした椅子などがある。また、そこからの眺めはかなり良かった。
- 2度の元寇の際に博多・太宰府を守る重要な拠点となっていた。
- 戦国期に改修された形跡がなく、中世の山城の形態をよく留めた学術的にも貴重な山城といえる。
- 岩門城は別名龍神山城という。
- 大蔵種光は博多津で藤原純友の乱を鎮めた大蔵春実の孫だという。
- 麓の寺山田には小弐景資の墓と伝えられる五輪塔がある。
↑主郭部分↑堀切↑堀切↑北の曲輪↑二の曲輪↑三の曲輪↑茶臼岩↑登山道 岩がたくさんのところ↑展望、休憩エリア↑眺望
来訪日2021/08/19
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