所在地

佐賀県佐賀市鍋島町八戸1054−2

祭神

海童神(龍神)

合祀;天照大御神仁徳天皇菅原道真

社格

村社

祭祀

歳旦祭:1月1日 午前10時/祈念祭(春祭り):2月18日 午前11時

夏祭(祇園):7月25日 午後7時/八朔上水神参籠祭(水祭り):9月第2日曜日 午前11時

例大祭(秋祭り浮立奉納):11月第1日曜日 午前10時/勤労感謝祭:12月9日 午前11時

境内社

足手荒神社 祭神:足手荒神

九頭権現社 祭神:九頭竜権現

正一位稲荷大明神 祭神:宇迦之御魂神

如意山 祭神:不詳

不動堂 本尊:不動明王

薬師堂 本尊:薬師如来

辨財天社 本尊:弁財天

その他、太神宮二十三夜塔青面金剛天狗天満大自在天神などの石碑や祠が多数ある

最寄りの交通機関

JR「鍋島駅」850m

バス「新栄小西」400m

周辺スポット

深町天満宮、木下天満宮

歴史

  • この地方の豪族の田中氏という長者は、広く商売を営み巨万の財宝を蓄え、大船を浮かべ大陸と交易していた。そのため、海上の平安を祈り龍神を深く信仰していたという。
  • 欽明天皇26(565)年、ある夜の霊夢により、西の海中から不思議な光を伴った黄金色の霊石を手に入れた。それを危難除去の守護神として国家の鎮護と一族の繁栄を祈念し、村の西隅に1祠を建てて「五龍社」と称した。
  • このことを知った里人も鎮守の神として崇敬するようになった。のちに与賀神社の摂社となり二の宮と称された。
  • 肥前佐賀藩藩祖の鍋島直茂公は家臣の多久長門に命じて七社明神を配祀し、息子であり肥前佐賀藩藩主の鍋島勝茂公は親しく参拝し、社殿を造営し祭祀料及びに修復料として八戸村の田地、四町八反を奉献し、境内に松、杉、楠を1千本植栽したという。このように藩政時代は神事も盛大に行われていたという。
  • 明治6(1873)年、版籍奉還による変革の影響で村社に定められる。
  • 明治29(1896)年、管内数社を併祀し現在に至る。

メモ

  • 周囲を田んぼに囲まれたところにある少し大きめの神社。
  • 境内はしっかり手入れされており、参拝者もそこそこ来ていた。
  • 詳細不明のものを含めると、境内社が多数ある。また、他の神社でも見かけるような石碑や祠群がたくさんある。太神宮二十三夜塔天満大自在天神の石碑が特に多い。
  • 主祭神の海童神五穀豊穣交通・航海安全、安産、諸災除去の守護神天照大御神国民の総氏神であり人間生活の総守神仁徳天皇人情豊かで慈悲深く、家内安全や安産の守神菅原道真学問の神様だとされる。足手荒神手足諸病除去の守神九頭龍権現不動明王諸祈願達成の守神薬師如来皮膚病除去等の如来様だとされる。
  • 神社周辺の水田からは古代土器(素焼き)の破片が広い範囲で数多く見つかっているという。
  • 南側には小さな土祠があり、御神体を引き上げる際に使用した縄などを納めたところだとされているらしい。(祠名に南無阿弥陀仏とあるという。)一応南の寺院の手前に南無阿弥陀仏と彫られた石碑があるがこれのことなのかどうかは分からない。
↑神社 遠景↑一の鳥居↑参道 石灯籠Ⅰ↑二の鳥居↑参道 石灯籠Ⅱ↑三の鳥居↑拝殿 ↑社務所 ↑花手水↑勇士の碑↑境内社 如意山 ↑境内社 正一位稲荷大明神 ↑境内社 足手荒神社 ↑境内社 薬師堂 ↑境内社 正一位稲荷大明神 ↑境内社 不動堂、九頭龍権現神社 ↑境内社 辨財天宮↑境内社 稲荷神社? ↑石碑、祠群Ⅰ ↑石碑、祠群Ⅱ ↑石碑、祠群Ⅲ ↑石碑、祠群Ⅳ ↑石碑、祠群Ⅴ ↑石碑、祠群Ⅵ ↑石碑、祠群Ⅶ ↑大神宮碑と祠 ↑庚申塔? ↑祠群

 

来訪日2023/02/21

参考サイト

「五龍神社」[さがの歴史・文化お宝帳]

https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=1868

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佐賀市神社その他の神社

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