筑前丸山城跡

所在地

福岡県糟屋郡粕屋町大隈1175

最寄りの交通機関

JR「門松駅」500m

バス「丸山」220m

周辺スポット

御霊神社、黒殿神社

関連スポット

黒殿神社

歴史

  • 室町時代後半頃、大内氏の家臣の杉氏が筑前守護代として高鳥居城(岳城山:須恵町)を本城としていた。ここ丸山城は出城として築かれ、博多に近いことからも重要な役割を果たしていたと考えられる。
  • 大内氏衰退後(1551年頃)、杉氏は鞍手方面へ。大友氏立花城(立花山:新宮町)を拠点に勢力を強めるが、毛利氏や反大友氏勢力との争いが続く。
  • 丸山城がどうなったかは不明だが、複雑な堀があることからも1580年代までは使われていたのではないかと思われる。

メモ

  • 御霊神社裏手の道を登ると行ける古墳と城跡。道中に古墳、山の頂上付近が城跡になる。
  • 丸山城の歴史が載っている看板の上に広場があり、展望エリアになっている。また、そこには五穀神の石碑がある。建造物としての城はほぼ残っていないので跡地って感じ。
  • 看板右手の道を進むと、堀についての看板と鳥居がある。また、そこの階段を登ると上の広場に出る。鳥居は扁額の向き的に看板側が境内と思われるが、反対側は草が繁っていてくぐって進むには危ない。扁額には愛宕神社?と書いてある。(少しだけ覗いてみた感じ)
  • 丸山城丸山の標高86mの山頂に築かれている。南には多々良川が流れ、対岸に焼地山があるがこの間の平地は僅か200m程。ここを篠栗側に抜けると再び平野が広がり、天然の城門のように狭まっている。篠栗側の一角には狭い通路を意味する「勢門」という地名があるが、この地形が由来と言われている。
  • 博多から篠栗・飯塚方面に行く際に、平地沿いのルートを進むには丸山の麓を通らないといけないような地形になっており、丸山城は交通の要所に築かれたといえる。
  • 丸山城主郭(頂上)周りの堀は、北側ら堀切と竪堀で敵の侵入を防ぎ、南側は横堀と竪堀で守りを固めている。
  • 小規模な山城だが、県内でも中世山城の構造が判る貴重な例として注目されている。
↑頂上  広場↑広場  五穀神石碑↑展望↑鳥居↑鳥居前堀に関しての看板と石柱

大隈丸山古墳

歴史

  • 石棺の形や、副葬品などから古墳時代前期(西暦300年代)に造られ、この地域一帯に影響力を持つ者の古墳と考えられている。

メモ

  • 丸山の標高60mに造られた円墳
  • 直径約18m、高さ約1.6mが残されており、古墳の北側半分は元の地形の削り出し、盛り土で丸い形にしている。
  • 古墳中央では、竪穴を掘り薄い板石を箱型に組み合わせる箱式石棺が見つかった。石棺の大きさは、長さ2.04m、幅0.54m、板石は1.4m×0.7mほど。
  • 石棺の蓋石は破壊され、副葬品のほとんどはなくなっていたがわずかにガラス玉、刀子、土製品が出土している。
↑古墳  全景

 

 

来訪日2021/06/25’’

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